欲しいものと欲と、もう手に入れることができないものと憧れ

f:id:c-miya:20180831075901j:plain 最近物欲が収まってきているんですよね。なんだかあまり欲しいものがない。だからといってお金が余っているわけでもないですけど。

ちょっと、うだうだと書き連ねていきます。

物欲ないなー

はてブ経由で、こんな匿名ダイアリーを読みました。

これのコメントやらブックマークコメントやらで、それぞれの人が沼へ誘うというか、良さげなものを提案しています。

んー

でもなー

…まったく興味を惹かないものばかりなんですよね。どれもその人にとっては魅力的なんだろうけど、私にはなんか、響かない。いや、買って手に入れればそれはそれで満足したり気にいるんでしょうけど。

なんというかね、食指が動かない。

もう手に入らない未来

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自分ももう40を目前にしているわけで、そんな妄想のような希望も夢も見られないお年頃なわけです。そうしてふと気づいてみると、もう私が子供の頃に考えられていた「普通の人生」というのは、もうどうあっても手が届かないのです。

あの頃の普通は今の普通じゃない、というのはよく言われますけど、まぁそれとはまた別のことで。

何よりも時間は取り戻せない。

いろいろ寄り道しすぎたというか、「普通」から見れば無駄な時間を(今も)過ごしてきたわけで、その結果、もう道は離れすぎたのだ、と。

以前の話になるけど、ふと公園で若い親子連れが遊んでいて、理想的な休日の家族像がそこにあったわけで。それを見たときに少し眩しくて、あぁこれはもう自分には手に入らない、手に入れられなかった未来だったのだと、思い知ったのでした。

そんな今、欲しいもの

閑話休題。

はてな的な買うべきもの欲しいものに興味がない私が、それじゃあ今何が欲しいのか?と考えてみた。

うーん…。

家、かなぁ、と。

なんというか、今のマンションの部屋じゃなくて、もっと優雅に悠々自適に過ごせる家がほしい。いや、自分の生活からすれば部屋1つで十分なんだけど、ここにきてなぜか家が欲しくなってきた。

1日楽しむなら、本を読みなさい。1年楽しむなら、種を蒔きなさい。一生楽しむなら、家を建てなさい。

この言葉を思い出す。…これ、今調べたら地元静岡のローカルな住宅メーカー大成住宅のCMだったようです。ローカルだったのか…。

なんか、年齢的にそういうのに入っちゃったのかな?年取ると急に蕎麦を打ち始めるみたいな感じで。

ただ、もちろん予算はない。

数年前、ソニーかなにかに行って、なんかスピーカーとか音源とか最高のものをまとめたものを試聴する機会がありました。そのときに感じたのはその音の良さとかそういうんじゃなくって、「こういう音や部屋やそういう環境すべてまとめて、今の自分の生活の延長には無いな」ということでした。

今の自分の生活空間は、たぶん大学生の生活の延長から変わってない。実家に帰って、その普通だと思ってた一軒家だとか生活だとかを見ると、じつはこれはけっこう贅沢なんだな、と思うことがある。自分の生活の延長と、実家のこれは繋がっていないのだ、自分には手に入れる未来が見えない、と。

人生

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やっぱり加齢のせいなのか、ふとした拍子に人生について考えてしまうことが増えてきました。子供の頃思い描いてた、なんとなく普通に来ると思っていた未来は手に入らなかったし、今から目指すにしても時は戻らない。

人生に遅すぎるなんて無い、なんて言う人もいるけれど、それは決して間違いではないけれど、それでももう遅いのだ。少なくとも「若い夫婦が子供と一緒に成長していく」なんていうのはもう無理なのだ。

ちょうど1年くらい前に、自分の人生の目的について考えてひらめいたことがあった。

これがはっきりしたときに急に目の前が開けた気がした。あぁ、これでいいんだ、と。でも1年経って、今はまた迷っている。それはそれでいいけど、他にはないのか?どうしようもないのか?目指すものはないのか?と。

うーん…。

なぜ家が欲しいと思ったのか、本当に欲しいのは家なのか。家…というよりもその生活空間、環境、そんなものが欲しかったのではないか。そこに住む家族とかそういうのは手に入らないとしても、それを目指すのもいいかもしれない。大きな物欲はなくても、その生活環境を目指して少しずつ近づけていくのもアリかな、と思えてきた。

まぁ、家がほしいと言っても、持ち家じゃなくて借家という手もあるんだし。ただそれでも今よりは家賃高くなるのだから、それを実現できるようにしなきゃならないわけで、まぁやることは変わらない。はやくBig当てよう。