記事を消すのは何のため?誰のため?

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時々はてなでも見るんだけど、過去の記事を消しました、消したらpv上がりました、という内容の記事。これについてモヤモヤ思うことを。

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何のために記事を消すのか

そういう系の記事はタイトルだけ見て中身はあまり見ていないんですけど、まぁたぶん必要のない記事、pvのない記事、検索順位の低い記事を消したらなぜかサイトの他の記事の検索順位が上がってpvも増えたよやっほー!という内容だと思ってます。

まぁ、つまりはSEOとして記事を消しているんだよね、ということ。でもそれがどういうことなのか、考えたのかなぁ?と。

検索のためになること

必要のない記事、薄い記事、例えば終了したキャンペーンの記事や時事的なニュースなど、まぁ確かに今必要のない記事というのはあります。それらが無駄に検索上位に来ると邪魔でしかない。

だから検索結果のクリーン化のために記事を消す。まぁそれはわかる。

自分が書いたということも消し去ってしまう

「今必要な人」のために無駄なものを排除する、それは分かるんだけど、そのために「今まで自分が書いたもの、書いたという事実」を消してしまってもいいのか?と考えてしまいます。

例えばブログであれば、今まで書いたものというのはその人なりブログなりを作ってきたものだし、そういう情報を載せる書いてきたブログ、というもの。それを消してしまっていいものなのか?ブログ…Weblogなのにlogを消してしまっていいものか?

そういう考えも、あるにはあるんですよね。

なんというか、今までの自分を否定してしまうような。目的が書くことやブログそのものではなく、それを通しての利益だったりつながりだったり、そういう人は何の躊躇もないんだと思います。それでいいと思います。まぁ消すと言っても、非公開にするだけで自分だけは見られるようにすれば、完全に消し去ってしまうわけでもないですし。

ただ、やっぱり自分の書いたものには愛着持って欲しいな、と思ったり、消したくないと思える文を書きたいな、と思ったり。

過去の記事を消すのは何のためか、SEOを外して考えた時、その行為に理由を付けられるのか、考えてみるのもいいと思います。

余談

なんか、こういう「過去の記事を消した」っていう話になると「私は1000記事消しました!」とか自慢げに言う人もいるけど、それって無駄な記事、消しても公開のない記事を1000記事書きました!っていうことだよね。それでいいのか。

今は終了したキャンペーンや、過去のニュースなんかでも、ふいに「昔あんなのあったけど詳細な情報残ってないかな?」と調べようとした時に見つからなかったり消えた残骸だけ残ってる時があるんですよね。それも悲しい。

でも無駄な情報がいつまでも残って検索結果を汚してるという場面もたしかにあるので悩ましい。

ただ、既に終わったセール情報や「速報!」とかタイトルについた記事を過去記事としてTwitterに自動投稿するのはマジやめてほしい。

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この記事を書いた人

静岡県静岡市清水区在住のウェブサイト運営者。ネット上ではc-miya、orefolderなどの名前で活動しています。

ストレスに弱いので、できるだけ好きなことだけをして生きたいと思いながら生活しています。「楽しい」が優先順位の一番上に来るようにしたいですね。

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