ゆっくりとした別れ

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そういえば初めてインカレを自宅で過ごした。…初めてだよな?ちょっと思い出してみよう。

1997 常盤…初めてのインカレ。個人戦は雪の思い出。先輩がエリートで頑張ってて、初めて個人戦のエリートを意識した。大心苑?泊。
1998 山口…初めての飛行機。個人戦で膝を強打し、うまく歩けない。リレーはまず体力が違うのを思い知らされた。最初のスタートまでで離された。場所はわからないけどそれなりの広さのあるホテル泊。
1999 日光…髪の毛が赤かった、ような…。リレーの走順は個人戦の成績順。で当然のように1走。このときは一般クラスがCCで選手権がEカードだった。ラスポを人のあとを追いかけて行ったらパンチしかなくて焦った。CCとEカードで別れてなかったらペナってた。日光グリーンホテル泊。
2000 愛知…ようやく4人が揃って、さぁクラブ初のウム回避だ、と思ったらウイニング改正されてあっさり達成。13位だったかな。あっさりしすぎて感動はなかった。割と街中のホテル泊。朝でも大浴場に入れた気がする。
2001 矢板…5年生。リレーを走れて、よかった。それを分かってくれる後輩がいてよかった。帰りにコンビニで車が追突される。たしかこのときに開催地が矢板なのに宿泊がみんな日光で、矢板を怒らせたとかなんとか。日航の小さめのホテル…民宿?泊。
2002 愛知…オフィシャルだった。でも他の大学と違って、うちはお金を払って参加する荷物持ちだった。選手にはうちらのことに口出すな、と言われる感じ。選手1名骨折。たぶんこのとき河合さんと上田さんが付き添ってくれてる。割と街中のホテル泊。日航?
2003 三重…4人くらいで車で。このころからO-Newsでたくさん写真撮ってた。高橋さんが大学関係なく通る選手みんなに応援しててウェアで判断して「○○大学がんばれー」と応援していたのが印象的。MECみたいなのに参加。時間の都合もありループを無視してさっさと帰ってきた。駅近くのビジネスホテル泊。
2004 日光…運営。雪。寒い。運営は悪くはないけど、O-Newsとの両立はできないと感じたので、もう二度とやることはないだろうと思った。あとたぶん僕には向いてない、この雰囲気。会場の少年自然の家?泊。
2005 愛知…T橋最後の、つまり図書館情報大学最後の走りを看取った感じ。そういう意味では大きなポイント。シード選手紹介の映像も作ったけど、あとから思えばこれらは良い影響を与えなかった。会場の野外教育センター泊。
2006 矢板…ミドルの日の、決勝が始まる時間くらいから行った。適当に取った宿が岩手大と同じで、隣の部屋が角田さんだった気が。インカレでビジネスホテルって…2002のときもそうだったけど、なんか嫌だな。自分が大学生の時はすべて誰か仲間たちと同じ部屋に泊まれた。やっぱそっちのほうがいい。矢板駅前のビジネスホテル泊。
2007 奈良…遠かった。大学を卒業した後輩がふらりと現れたのは驚いた。この頃からコーチやってる。結果は…。運営者がテンパッてるのにもろに遭遇してやれやれ。K-Skeが同じ高校出身と判明。奈良のユースホステル泊。
2008 足柄…近かった。女子リレーのドッカンドッカン具合がすごかった。あぁ、本当に人がいなくなったんだな、というのを強く感じた。会場の自然の家系なところ泊。
2009 日光…コーチしていた子の最後のインカレだったので、O-Newsはもうついで。花束を渡して「お疲れ様」。「今までありがとうございました。私、宮城島さんのこと…///」とはもちろんなっていない。2003年以来の併設参加。Bクラスかなにかで優勝。日光市内のビジネスホテル泊。

おぉ…記録を調べたらすべて宿の雰囲気まで思い出せたぞ。すごいすごい。
インカレに対する思いというか状況って何段階かあるとおもうんだ。

  • 選手時代
  • コーチやオフィシャル時代
  • 大学卒業後、一緒の大学生活を過ごした学生が選手をやっている時代
  • 一緒の大学生活を過ごした選手はいないが、何とか知っている選手がいる時代
  • もう後輩とは年が離れてしまった時代

まぁ、段階を経るごとに関心が薄くなってしまうのはもちろんのこと。選手にあまり関わらない(コーチとかやらない)で併設に参加すると「あまりにも普通の大会」だとはよく言うし聞く言葉。「一番すごい」「最高の舞台」とかインカレを神聖化できるのはそれまでなんだよな。いやそれでいいんだけど。

だけど、今回は併設大会には申し込んでいたものの、地震の影響で東京を脱出できずにアパートで過ごした。まぁその地震の関係で世の中が慌ただしいことになっていたというのもあるけれど、twitterで聞こえてくるインカレの話題はもはや別の世界のことのようだった。そういう話を見ても「あ、そう」としか思わなかった。まーこれは地震のせいだな。

ただ、2月のインカレロング最競技の時も実質興味が湧かなかった。あーでもこれはもう学生にあまり関わらなくなってきて、選手も知らなくなってきたから、というのもある。で、今回地震の影響もあって、更に一歩引いた場所から見ると、もうどうでもよくなっていた。

僕は選手をやったあとにオフィシャルやって運営もやってO-Newsやってコーチもやって…とわりと長くインカレには関わってきたと思うけど、そうか、こうやって離れていくんだな、というのをようやく理解した気がする。頑張ればまた近づける気はするんだけど(そのための1つが「それぞれのインカレへ」だった)それをやる気力も今は湧かないかなぁ、というのが今の気持ち。

冷めた目で見ると、熱く燃える人ってのは羨ましく見える。オッサンになってしまった僕には、もう一度熱く燃えることなんて、できるようには思えない。それが悲しい。

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この記事を書いた人

静岡県静岡市清水区在住のウェブサイト運営者。ネット上ではc-miya、orefolderなどの名前で活動しています。

ストレスに弱いので、できるだけ好きなことだけをして生きたいと思いながら生活しています。「楽しい」が優先順位の一番上に来るようにしたいですね。

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